ゆらり、揺られて








「や、喜平ではないか!留殿もよう戻られた」

「あい」

「ささ、早う屋敷へ。若様がそれはもう首を長くして待っております」

「伊作も藤吉様と共に?」

「左様。お二人とも屋敷で小鈴の話を聞いております。さ、喜平も早う」


久方ぶりに戻った城へ、どのように忍び入るか。
駆ける道中、密かに悩んでいたことは全て無駄となった。

やや前の事。留等を探しにいくと城を忍び出た日と同じ場所への道を無意識に歩んでいた時であった。
見張り番として周囲を回っていた男とすれ違おうとした時、はじめ留が足を止めた。
気付いた見張りの男は
「おお」
目を輝かせ駆寄ってきた。
男の名を熊助という。名の通り熊のように大きな体であり濃い髭がごっそり顎を隠している。指も喜平丸のひと回りもふた回りも太い。腰に携えた刀も些か小さく見える程である。一見豪快な男に見えるが骨張った指は実は喜平丸よりも器用であり、調合などの細かな作業を手際良くやってみせる。熊助は素破の仲間であり、火薬や薬を作り出すのが得意であった。小鈴の兄にあたるがその小鈴は熊助とは似つかず小柄で可憐であるのだから正に名は体を表している兄妹だ。
「父子はぬし等の大きくなった姿が見えておられたに違いない」
仲間等と口を大きく開けて笑ったものである。

長いこと合わせていない友との再会を密かに喜んだが、喜平丸ははたと気付く。

(もしや、熊助はかの宵に俺が城を密かに抜け出した事を知っているのではないか)

正にその通りであった。



背を押されるようにしてやってきた忍屋敷に顔を突っ込めば、そこには興味深そうに小鈴の手元をのぞき込む籐吉と探していたもう一人の少年がその横で真剣に調合の様子を眺めていた。素破が若者のとも知らぬのに堂々とその技を見せていいものか。
(良いわけがない)
だが、よく見れば薬草をあれだこれだと口出ししているのは若者のほうで、小鈴は汗を滲ませつつせっせと腕を動かしているのだ。
思わず喜平丸はこめかみをおさえた。
だが、小鈴の兄の熊助もまた眉間に皺をを寄せてその様子を眺めているではないか。なにかとふと若者をみやる。その若者、ひと目見て何者かわかった。未だ懐に大事にしまっている似顔絵とよく似ているのだ。癖と量感のある黒髪。物取りに襲われた籐吉の警戒を一瞬で解いただけあり穏やかな光を湛えている。鼻筋もすっきりとしており稀にみる容姿である。その若者こそ善法寺伊作であった。

ついまじまじと眺めていた喜平丸が我に返ったのはこちらを見てにこりと笑んだ伊作と眼があったからである。我を忘れ眺めていた気恥ずかしさから笑み返すが上手くいかぬ。横から伊作の袖を引き籐吉が指さして何か言っている。あれは何かそれは何かと聞いているのだろう。
さて、そうなれば気になるのが小鈴のすり合わせる鉢の中である。熊助へと向けば、

「や、俺も知らぬ」

この道に明るく、仲間の間でも評判の云い調合師だがそんな熊助でも知らぬものがあるらしい。広げられている薬草の種類から毒ではないらしいとだけ呟く。

「熊も知らぬものがあるのか」

「勿論ある。しかし、こうもたやすく外の城の者に調合を教えるものか」

小声で交わしたが、不意に伊作が振り返った。
若い素破であるだけあり耳が良いのだ。

「構いません。殺める為の薬ではありませんので」

二人は顔を見合わせた。
道中の留の話によれば伊作はまだ忍び働きができないのだという。今はまだ修行を詰む身であり一人前とは認めていないからだ(喜平丸には一人前という言葉はしっくりと来ないかったが、そうであるらしい)
大きな声で言えぬことだが、と前置きして留はこっそりと城までの道中で喜平丸にこぼしている。

「伊作はなんとも出来の悪い忍びで何をやらせても上手くできませぬ。なれど脚が遅いわけも腕が悪いわけでも、ましてや頭も悪いわけではありませぬ。しかし、上手く働くことが出来ぬのです」

とても戦忍びにはなれますまい、と少しも苦い顔をせずにぴしゃりと言った。しかしすぐに姉が弟を案じるような笑みを浮かべ
「唯一、眼が良い」
それだけを褒めた。

愛想も良くやや低い穏やかな声や眼は人を安心させる。
何より人をまっすぐに見る目は人の警戒を不思議と溶かした。
同じく素破の者と知っていながら、これっぽっちも裏を疑う気が起きぬ。
しかし素破はそんな人柄さえ活かして諜報活動を行うのだ。伊作は良い忍びになれる、と本心から言ったがそれさえも留は笑った。

「人を騙すことも欺くこともできず、戦場に行けば敵味方も関係なく手当を施すあの男には似合いませぬ」

御人好しと呼ぶには度が過ぎるという。

「なれど俺にはお留殿も似合うとは思えぬ」

「ふ、ふふふ、ふ」

何気なくぽろりと口からこぼれ落ちた言葉であったが、それを聞いた娘はしばし愉快そうに笑い続けた。


その留はと言えば気付けば籐吉の側へと歩み寄り言葉を交わしている。先ほどまで真剣に小鈴の手元やら伊作の指さす薬草を眼を輝かせて見ていたというのに。僅かに紅潮した顔など知る由もなくしどろもどろに話す様は何とも愛らしい。
遠巻きに様子を伺っている忍屋敷の者達も微笑ましく見守っている。そこには余所の素破が堂々と正面から入ってきたという緊張感は何処にない。

人と成りを信用しているのだ。
素破なるもの、そう易々と信じて良いものか。

一重に籐吉の絶大なる信頼があるだけではない。二人は喜平丸のおらぬうちに城に訪れたというのだから、その間無数の眼に晒され見定められたのだ。
無数の眼、とは無論、喜平丸や熊助達の仲間である。

「にしても、喜平丸殿も人が悪い」

気配無く、ぬっと後ろに現れたのは先ほどから一言も言わずにいた山田利吉であった。影武者として変装していた利吉もまた無数の眼に見定められたに違いない。喜平丸の変装を解き娘等に評判だという素顔で此処にいるのがその証拠である。

「これでは、若様にも・・・・」

「わからないほど鈍くはないでしょう」

「おのれがお留殿と会た頃には俺は父上のところへ乗り込んでおったわ」

自慢げに胸を張る籐吉がそこへ割り込んだ。
調合が済んだのか伊作と留もまたその後ろでにまりと笑みを浮かべている。
きっかけがこの二人であったからだ。

町の住人を装った二人はあっさりと素破(実際はたまごであるが)であることを見抜かれた。
見抜いたのは伊作を一目見て忍術学園で修行を詰むものだと見破った利吉でも、はたまた懲りずに町へとくりだそうとしていた籐吉でもない。近くを通りかかった侍女である。たまげたのは侍女と二人が対峙するその場に出くわしてしまった籐吉である。物陰から目にしてしまった光景とは、見慣れた一人の侍女が懐から縄を取り出しあっと言う間に伊作の腕をとり後ろへ縛り上げてしまったところであった。ひとつも無駄な動きの無い動きは只の女が出来るものでは到底ない。それもそのはず。その侍女とは今出来た薬を小分けにしている小鈴なのである。


素破を好まぬ、好かぬと言っていた父である領主のもとへと急ぎ駆け込んだ籐吉は思わぬことを耳にすることになる。

籐吉の父親はまったくも悪びれず、
「さすが喜平丸を小姓に選んだ息子じゃ」
豪快に笑ったのだ。唖然として間抜けにも口をあんぐりと開けたまま固まった籐吉の頭をやや乱暴に撫ぜながら続ける。
それもまた突拍子のないことで瞠目した。

「よしよし。籐吉や、侍女の幾人が素破の者か数えてみよ」

実に楽しげに言うのである。控えていた小鈴さえ目を丸くした。藤吉は思わず開いた口が塞がらぬ。物心がつく頃より世話になっている者たちが多い。小鈴もその一人であった。そのうちの幾人か、いやもっと多いかもしれぬ人間が今まで父が嫌っていると信じ切っていた素破だというのだ。俄かに信じられる話では到底ないが、その証明となる侍女がいる。今日、幾人の侍女達と顔を合わせたかも覚えてはおらぬ。既に何人かの女素破と擦れ違ったかもしれぬということだ。
唖のように藤吉が物言えずにいると、更に≪喜平丸が喜平丸でない≫こともぴたりと言い当てた。これには流石に血の気が引いた。何せ大殿と呼ばれる父親に何も言わず、周到に影武者まで仕立て城を空けているのだ。ましてや成り変っているのが城の素破どころではない、謂わば余所者である。脳裏に喜平丸の首が飛ぶのが浮かび眩暈を起こす。だが、額に脂汗をじっとりと浮かせふらついたのとは逆に父は目を童のように輝かせ手を叩いている。あんまりにも籐吉が目に見えた動揺を露わにしたのがおかしかったようだ。

「父上、素破の者がお嫌いなのでは・・・」

「おう、ありゃ嘘じゃ」

こりゃ良いぞ、籐吉が気付きおった。実に愉快だ。
もはや籐吉の話など聞いてはいない。声を弾ませなにやら命じると、小鈴は音も立てずに部屋から去った。藤吉が背後の小鈴がいなくなったことに気付かないほどで見事なものである。
改めて術を見せられたが何も言うこともない。いや、何も言えなかったのだ。侍女に混じり働く素破を数えてみよと言うが、それ以前に何せ兄弟の如く仲の良いと言われる小姓が素破だったのだ。なれば、
「喜平丸が素破だと・・・?」
知らぬわけはないのである。
この分では侍女だけではない。傭兵の中にも幾人混じっているということだろう。しかし籐吉が喜平丸のそのことを目の当たりにしたのがついこの間のことだ。素破であることを知っていて喜平丸を小姓に寄越したことになる。
(果してこの城に幾人もの者たちが潜んでいるというのか―――)
思わず胸が躍ったのは仕方のないことであった。

「・・・のう、藤吉。わしの父はそりゃ見事な忍隊を持っておってな。情報網はそこらの大名なんぞ寄せ付けぬほど優れ、あやつらに幾度助けられたかもわからぬ。誰も腕利きの俺の部下よ」

わかるか、と目で問われ頷いた。

「よし、今はそのことを分かっておればよい。今はそれでよい」

「はい。ところで父上、小鈴の捕らえた者のことですが」

「構わぬ。好きにせい。後でわしの元へ連れてこい。一言礼を伝えたい。ところで籐吉、もう腕の傷は良いのか」

もう籐吉は何も言えなくなってしまった。
腕に傷を負い二人の若い素破に助けられたことも、ましてや単騎で探しに行こうとしたことも。全て籐吉と喜平丸、そして事情を知る利吉のみが知ることである。傷は不覚とし父にも漏らしてはいなかった。もしや誰ぞに見られており耳に入ったのでは。そうではない。耳にしていたのは熊助に見抜かれた利吉の変装のみであり、籐吉の父は息子の微々たる動きも見逃さなかっただけなのだ。

「おまえのことなど眼を見ればわかる。よしよし、気が変わったぞ。おまえの客と喜平の皮を被った山田利吉とやらを呼べ。たまには若者共と語り合うのも良いじゃろう」

不敵な笑みを前に、もはやどこまで見通しているのかも分からぬ父の眼力にただただ口を開けていた。


(そこまで大殿は見ておられたか)

よもや己が居らぬ内にそんな話がされているとは思いもしない。愕然とした喜平丸に籐吉の笑みが深くなる。驚く顔が愉快なのは父子共に同じらしい。しかし籐吉の父との語り合いにはまだ続きがあった。客人として改めて迎えられた利吉や伊作が床につき、留が喜平丸を迎えに行くと飛び出していった頃、一つの提案を父へと伝えた。それを聞くと父親は膝を叩き
「そりゃあ良い」
とまた喜び二人は朝方まで語り合った。
さて、籐吉が提示したこととは何であったか。


見上げてくる目とぴたりと視線が合い、未だ帰還の言葉も伝えていないことを思い出すより早く、浮ついた調子で藤吉が言った。

「喜平や、おまえは俺の我儘を良う叶えてくれた」

「や、この喜平丸は何も・・・・」

「いや、ぬしのおかげよ。主の言葉を聴き、伊作殿や留殿と再び相見えることができた」

「え・・・・」

「俺はどんな話をしたのかは知らぬ。だが、留殿の兄上と話をしたそうだな」

(もしや、二人はすぐ近くに潜んでいたのでは――)

果してその通りであった。留の家を訪れた日、道案内、更には昼餉まで施したお満こそ留であったことを喜平丸は今になって漸く確信した。
そうでなければ前触れなく仙蔵と名乗った留の兄が招かざる客であった喜平丸と会うことなどまず無い。仙蔵は一人家に来たわけではなかったのだ。

「それで、おまえに俺は礼をしたい」

また一つ、ひと回り以上年若き素破達に出し抜かれていたことに気が遠くなっていたが、思いもよらぬ言葉に目を見開いた。

「何を言われますか。この喜平丸が及ばぬばかりに・・・・」

「なんでもよい。俺がしたいのだ」

それから「なぁ、喜平」と親しげに呼び、



「嫁を迎える気はないか」



嬉しげに言い度肝を抜いた。


「な、な・・・・・・」

「ゆめはどうだ。おまえには勿体無いほどの娘だろう。どうだ、ん」

「何を、ゆ、ゆめ殿とは・・・・」

「おぉ、おぉ・・・喜平様のお顔が茹で蛸のようじゃ」

口元を押さえた小鈴の茶化した声が飛んだ。

「や、止めよ。俺はずっと若様の御傍にお仕えを・・・・」


「おう。ずっとおれ。ゆめも喜平も、ずーっとはなさぬぞ」


此処にいる皆もおなじことよ。


「な、だから、一緒におれ」

藤吉が笑い素破同士が、小鈴と熊助が顔を見合わせ笑っている。その後ろで伊作と留が寄り添い見守っている。
熱く成り始めた目頭を押さえれば花のようにほころぶゆめがよぎった。

「俺はもう、死んでもよい・・・・」

思わず口に出た呟きは藤吉に拾われ

「それはゆめが気の毒だ、俺とゆめの為に生きよ」

一層大きく笑われた喜平丸は首まで赤く染めたまま、暫し羞恥と歓喜の綯い混じる波に身を委ねた。







終わらなかった!あとちょっと!
私ばかり楽しくて御免なさい