ゆらり、揺られて

素破=忍者


母の胎より生まれ落ちて早三〇年。
袴を身に付け太刀を腰に差そうと、例え甲冑を纏おうと己を士と思ったことは一度もない。
侍女と素破の間に生まれた喜平丸は物心ついた時には既に整息術の修行に入っていた。整息術は素破としての基本であり、その技術なくして姿を現しながら気配を消すことなど出来はしない。
呼吸一つで人の気配もにおいも感じ取れるという素破の者達であるのだから、それこそ命を掛ける基本技術であった。
喜平丸が一〇才になるころには森へと一人出掛け、川で魚を素手で捕ってみせ、子猿の如く広い森をあたかも己の庭のように駆け回っていた。喜平丸の周囲には同じ素破の者が多かったためか、子供らしく大口を開いて笑うこともしない子供であった喜平丸を
「可愛げのない」
と言う者はいなかった。むしろ
「まさに素破」
喜平丸を我が子のように頭を撫でる者のほうが多くいた。しかし、そこでも喜平丸はぴくりとも笑わぬ。かわりに大人しく頭を撫でられることを容認するのだ。父とて反応は周りの大人と変わらぬものであったため、喜平丸には
「父上」
と呼んでしまいそうになる大人の素破に多くいたくらいである。
喜平丸の本当の父の名を隆之助という。
隆之助は幼き喜平丸が目指した一番の素破であった。周囲の者からも一目置かれた存在であった父の誉れ高き姿は、息子にとってさぞ輝かしく誇らしく見えたに違いない。
そのためか口数の少ない子供であったが、何かと己の欲求をいうなれば、いつでも
「早く父上の役に立ちとう御座います」
と零したという。
素破といえど隆之助とて人の子であり、一児の父である。呟きに似た言葉はを耳に入れると、それはもう顔を背けたくなる程蕩けたような表情で目尻に涙さえ浮かべ喜平丸を抱きしめた。
仲間と盃を交わすときには、決まってその話をするというくらいであったのだから余程嬉しかったに違いない。いや、嬉しかったのだ。
当時を思えば老い、髪にも白いものが混じり始めた母である女は、今でも時折顔を見に来る息子に当時の話をする。既に十年以上前のことだが、繰り返し口にしたという隆之助の感動を素直に現した態度は未だ色褪せることなく、胸に残り続けているようだ。幼い頃こそ父の酒の席での話など聞いたことがなかったが、成長した喜平丸が母より聞いた時は流石に耳まで赤くして羞恥を露にしたという。喜平丸が素破を目指すことに消極的ではなかった母だった。小さい頃より侍女であった母の下、城にいることよりも素破の者達が使うという屋敷に入り浸るにつれ表情が乏しくなる我が子の姿を知っているだけに、耳まで赤く染まった息子の姿に目を丸くしていた。喜平丸が父の話を母から聞いたのは、父隆之助が戦にて命を落としてから二年が過ぎていた。

藤吉が城の一室で産声を上げる頃、若くして素破としての才を発揮し誰もが
「一人前の素破よ」
実際の年齢より三つも四つも上に見える大人びた姿を褒めるほど喜平丸は成長していた。
一番目の効く年頃であったが為に休む間もなく駆け回り働いたが、気付けば藤吉に懐かれ、いつの間にか小姓になっていたのだから
「世の中先のこと等わかったものではない」
と苦笑を漏らすのも無理はない。
小姓になれど、素破の働きから完全に退いたのかといえばそうではない。
夜中のうちに駆け、日が昇らぬうちに城へと戻る事もあった。門番は時折喜平丸が城を出ているなど知るものはなく、仲間達ばかりがそれを知っていた。
しかし、この度の抜け出しは仲間も知らぬ。
文字通り、藤吉と己の身代わりを頼んだ山田利吉しか知らぬのだ。

喜平丸は笠をかぶり街を歩いた。
城より一番近いところではない。そのいくつか先にある町であった。
城を出る前、喜平丸の言葉を頼りに描いた絵と、捕らえられた物取り達の証言ばかりが手がかりである。とはいえど、物取り達からすれば振って湧いた災難である。顔も全く知らず、声も知らぬ。後ろからの的確な一撃を食らったのだ。
やはり藤吉の言葉ばかりが頼りなのである。

走り去ったと言う方角、そして装束を纏っていたわけではないという奇妙な二人を探すのは困難であることは誰の目から見ても明らかである。世に溢れる程いる人間の中からたった二人見つける等、正気の沙汰ではない。
しかし、喜平丸は思わぬところから助言を得ていた。
己の身代わりを頼んだ山田利吉からである。
人探しをするのだと伝えると利吉は難しい顔をした。どれだけ困難なことか、聞かずとも分かる事である。ましてや相手は素破の(と踏んでいる)者達なのだ。容易には捕まるまい。探していることが知れ隠れられて等されては見つかる可能性はほぼないものとせねばならぬ。
そこで利吉は少々気が進まぬ様子で漏らしたのが
「協力を仰いではどうか」
このことであった。
おれば必ずや助けになるであろうが、今の喜平丸には山田利吉を雇う以上の金は無い。提案もまた困難であることを伝えると
「金は掛かりますまい」
と言うではないか。
しかし何処に只の人探しに銭も要らず協力しようと言う者がいると言うのか。
険しい顔になる喜平丸へ利吉は協力者になりうる者がいる場所を伝えた。
それは喜平丸には耳にもした事のない、存在も知らなかった組織である。

「必ずとは申しません。しかし、目は少しでも多いほうがいい。協力を得られれば大きな力になるはず」

「して、其の者とは・・・・」

「忍術学園」

更に利吉が描いた学園の位置と、素破らしき二人走り去ったという方角はまさしく重なっていた。

町より更に西へ進むこと七日。
学園と目と鼻の先にある町のとある家に喜平丸はいた。
上手そうな飯の匂いが空腹を誘い鍋をかき混ぜる老婆の手は静かに円を描いている。
居心地の悪さに落ち着かない喜平丸を老婆は時折振り返り
「そう身構えずともよう御座います」
と穏やかな視線を送る。

落ち着かない原因は家に入る前に起こった出来事が原因であった。
町の中、道行く老婆に腹ごしらえをするため食事処は何処かと尋ねたところ、家へと招かれたのだ。
始めこそ遠慮したものだが、老婆が
「年寄りの話し相手にでもなってくれんかえ」
と言うと、喜平丸の中で母の面影が浮かび断ることができなかったのだ。
しかし、老婆の家へと着き、入ろうとすると
「おい、まて」
幼い兄妹が入り口に立ち塞がった。

老婆の孫、と思うには少々兄妹の兄の眼光は鋭すぎ、妹の顔には猜疑の色が濃すぎた。少女は兄の後ろに隠れてはいるものの、不穏な光を湛えている。
驚き後ずさった老婆を後ろから支えると、少年は両手を広げ侵入を断固として許さない姿勢を見せるではないか。
どういうことか、老婆に問うよりも早く、声変わり前の少年が声を上げた

「通さねぇぞ!」
「な、何・・・」
「此処は留姉の家だ!おとといきやがれってんだ」

驚いたのは喜平丸である。
老婆が家を間違えたのか。いや、まっすぐに家へと歩いてきたのだ。間違えているとは思えない。年を食っているものの賊の類か、場合に寄っては、と身構えるが老婆は
「おぉ、おぉ」
と何から感心してから、からからと笑った。

「元気のいい男の子、おまえが弥助だね」
「え・・・・」
「そうなると、可愛い女子のほうはもえかい?」
「・・・兄ぃ」

少女は不安気に兄を見上げるが、弥助と呼ばれた少年は固まっている。
老婆が呼んだ名前は間違っていないようである。

「聞いているよ。可愛い兄妹が良くしてくれるってねぇ」
「知ってるの・・・・」
「孫を知らん婆なんておらぬわえ」
「・・・・・」
「兄ぃ、孫だって・・・」

バツが悪るそうに顔を背けながら、少年は袖を引いていた妹を抱えるようにして走り出し近くの家へと駆け込んだ。兄妹の家なのだろう。老婆は礼を言いながら喜平丸の支えから離れ深々と頭を下げた。

「お騒がせして申し訳なく・・・。此処は孫の家でしてな。久々に顔を見にきたと言うのに留守にしております故」
「それは・・・」
「ま、家の中は好きにしてくれと言われております。気にすることはありまぬ」

そう言って招き入れられ、老婆が機敏に動き飯を拵えはじめ、客である喜平丸は落ち着き無くその姿を眺めているという状況に至る。
幼い兄妹等は家の住人を「留姉」と呼んだ。ならば、
(娘の家に見ず知らずの男が入るなど・・・・)
喜平丸が落ち着かないのはその点であった。
ところが、家の中はこざっぱりとしており、娘の好む様な小間物一つ見当たらぬ。整理が行き届いていると言うよりは、物が少ないのだ。それが奇妙に見えてならぬ。言ってしまえば
(女のにおいもせぬわ)
兄妹と老婆の会話さえ聞かねば乙女の家とはとても分からない。
部屋を見渡しているうちに老婆は食事の用意を整え、粥を椀に装い差し出した。
礼を述べてそっと口に運べば熱が身体に沁みわたり、薄めの味付けも喜平丸の好みであった。

「うまい・・・」
「それはようございました」

老婆もやっと椀へと口をつけ食事を始める。

老婆は満と名乗り、幾年も顔を見せない孫の家へと訪れたのだという。
満は余り己の村意外の場所を知らぬという。喜平丸が旅の話をすると身を乗り出して頻りに頷いた。膳の箸は動きを止め、あんまり熱心に聞くので喜平丸もつい身振り手振りを交えてと熱が入る。

あの村には奇妙な風習がある。
その街には見たこともない食べ物があった。

満は余程興味があるのか、それとも己の知らぬ世界への好奇心なのか、頻りに質問し喜平丸も丁寧に応えた。ゆっくりとした食事が片付き始めたころ、視線を感じ喜平丸が息を詰めた。
背後から気配は二つ。あからさまなほど己の背を見つめているであろう影があることを感じたのだ。何奴、と振り返れば、戸の隙間から覗く小さな目が四つ仲良く並んでいた。
弥助ともえだ。

「おやおや・・・・」

視線をかちりと合わせたまま硬直した両者を見やり、満は小さな兄妹へ手招きをした。

「お入り。一緒に旅のお話を聞こうじゃないか」

四つの瞳は途端輝き、賑やかに家へと無遠慮に入りしっかりと喜平丸の前に座り込む。外でこっそり様子を窺っていたものの、聞こえてくる旅の話への好奇心が勝ったらしい。家の外から耳を澄まし満と同じく頭であれこれと想像していたに違いない。頬は既に高揚に淡く染まっている。

「なぁ、何で旅なんてしてるんだ?」

家の外では警戒の色しか浮かんでいなかった瞳もその面影はなく、弥助が話を待ち切れずに言いだした。その様は若き主である藤吉の幼い姿に良く似ている。
原も膨れすっかり腰を落ち着かせてしまったせいか、喜平丸の声は僅かに柔らかくなる。

「人を探しているのだ」
「この町にいるのか!?」
「分からぬ。しかし、探せねばおるかおらぬかもわからぬ」

そりゃそうだ、と相槌をうつ弥助の隣でもえが小さく聞く。
弥助ともえとの質問は相次ぎ、時折大人の真似をして腕を組み唸る。微笑ましい姿に苦笑を零しつつ、幼い兄妹が思い当たる人物がいないか、を必死に思い出そうとしていることに素直に感謝した。
(後で団子でも買ってやろう)
そう思いながら、懐にしまっていた探し人の似顔絵を取り出そうとしたのも、まるでごっこあそびをしているかのような兄妹を楽しませてやるつもりであった。しかし、

「あ・・・・」

「どうした?」
「ない・・・」
「何がよ」
「探している者達の似顔絵・・・」
「なんだってー!」

呆然とした喜平丸よりも慌てふためいたのは弥助であった。
直後、もえの手を引き、矢の如く家を飛び出してしまったのだ。黙って三人を眺めていた満が止める間もない。
似顔絵を探しにいったのだという考えに至るには容易であったが、喜平丸とて穏やかではない。

「お、俺はなんて事を・・・・」

目に焼き付けているとはいえ、似顔絵は数少ない手がかりであったものであるというのに。脳裏に浮かんだ藤吉の笑顔が暗転しかけるが
「あぁ、弥助、もえ・・・・」
不安気な満の声に我に返り家を飛び出した。遠くに弥助ともえの後ろ姿が見える。
二人に何かあっては一大事だ。
町の中に紙が落ちているかも分からぬのだ。闇雲に探しても成果は上がるまい、親身になりかけた幼い兄妹の背に冷静な思考が戻り始め

「待て、待て!そんなに走っては転ぶぞ!」

声を上げるも空しく届いておらず、小さくなる背を見送り、
(満殿へ二人のことは任せてもらおう)
と一度家へ引き返してみると、座っていたはずの満の姿がない。
(はて・・・)
家の奥だろうか、と踏み出した時、視界に白いものが入り込んだ。
座っていた囲炉裏の傍に、先程まで何処かに落としたものと思っていた似顔絵が広げられているではないか。

「おぉ、おお、あった!何故こんなにも分かりやすいところにあったというのに、気付かなかったのか!満殿、ありましたぞ!満殿!!」

紙を手に、家の奥へと駆け込むものの、満の姿はなく煙のように短時間で消えてしまったと気付くのはその直後であった―――――――。








喜平丸がちっとも素破らしくない件について。
これじゃ隆之助も泣いちゃうくらい素破らしくない。

どうでもいい余談。
吉、喜平丸、之助、とある人物関連の文字を使った名前のつもりですが、お分かりになる方はおられるでしょうか。
喜平は漢字違うけども
歴史上の人物と言ったらこの一族が一番好き。