04.雨は硝子のように突き刺さり、雪は茨のように絡みついた。自ら照らす太陽は臆病に喚(わめ)く、彼の影は誰が見つけ出すというの



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木々が無造作に立ち並ぶ山の中、人の目を憚る小屋がある。
忍び小屋と呼ばれ、本来忍び同志が情報の繋ぎ、負った傷を癒す場所として設けられている。その為、中には脂薬と最低限の防寒具、保存食が置かれていた。

今、忍び小屋の中には二人の男がいる。

一人は涙を流すことなく泣く男。もう一人は出入り口を背に呆然とそれを眺めている男である。

静かに肩を震わせていた男、食満留三郎の動きがいつの間にか止まってことにもう一人の男、潮江文次郎はふと気付く。
時間が経ち落ち着いてきたのか。そうではない、と気付くのにさして時間は掛からなかった。

(気付いたのか)

漠然と文次郎は様子を眺める。

(さて、どうする)

視線は留三郎から外さないが、その問いはまさに自分に向けたものであった。
努めて平然とした態度を装うことに決めると、再び留三郎の肩が震える。

(恐れたか。いや、そんな男ではない)

一歩、文次郎が踏み出した瞬間、

「寄るな」

と鋭い声が飛んだ。思わずその踏み出した姿勢のまま動きを止める。耳を澄まさずとも聞こえ始めたのは「う、う・・」というやや高めの泣き声であった。

「何処の誰かは存じませぬが、どうかお許しを。これ以上慰み者にされては堪りませぬ」

文次郎は目を丸くした。身に覚えのないことを言われたからではない。

(こいつ・・・・俺に手を貸せというのか)

このことである。

「見ての通り、銭も持たぬただの男に御座ります。どうか、捨て置きください」

体を丸め自分の体を抱き文次郎を見上げる。
出る言葉こそ《見知らぬ男に慰み者にされた青年》であるが、眼光は余所見をすれば喉を掻き切られそうなものであった。それだけの技量がある男だと知っている。
武器も持たぬ骨と皮だけのような姿であろうとも、だ。文次郎は何かが背筋をはしったのを感じ、自然と口元には笑みが額には汗が噴きあがった。

留三郎は文次郎との約束を守ろうというのである。

約束。再び戦場で会い、その時こそどちらが優れた武を持つか勝敗を決めようというのだ。文次郎は歓喜に震えた。
そのためには

(此処から、いや、軍から離れねばならん)

「何を今更」

吐き捨てるように言い、文次郎は遠慮なく留三郎をまだ一肌の温みを残した布の上に組み敷いた。それから水を汲んであった竹筒を煽り口付けた。
するりと唇は薄く開かれ文次郎から留三郎の体へと水が運ばれる。水が飲み込まれるのを感じたとき文次郎は張っていた気が少しばかり緩んだ気がした。
もう一回、と竹筒を煽り水を与える。

「んぅ・・・ん・・・・」

冷めきった粥をも同じように与えながら、

(まるで雛のようだ)

と文次郎は留三郎を盗み見る。するとどうしたことか、食事を一切摂らなかったのが嘘のように文次郎の首に双腕を伸ばし「早う」と強請るではないか。

「ぁ・・・・は、・・・」

時折甘やかな声を漏らすのを聞きながらながら、水の次は冷めた飯を与え、気付けば留三郎は差し出されていた粟粥を平らげていた。それでも尚、細く萎えた腕は離れず、「もっと」と文次郎に食事の続きを促すのだ。とはいえ、無くなったものはしょうがなく、自分の分にととっておいた水の入った筒を渡した。名残惜しむ動作など微塵もなく双腕は簡単に文次郎を開放し、筒を傾ける。黙っては飲まない。やはり甘く、切なげに声を洩らすのだ。

(騙せたとして、俺の好みが疑わるわ。どうしてくれる・・・)

文次郎は誰にも分からぬようため息をつく。
見つかろうものならば好みを疑われる前にどちらかの首が飛ぶに違いないのだが。

(様子を窺っている、見張っている奴がいる)

気付いたのは数分前、留三郎の肩の震えが不意に止まったときであった。
(見られている)
はっきりとそう感じさせるのは忍びとしての勘だ。
恐らく小屋からそう離れぬところから、息を潜め耳を澄ましじっと様子を窺っているのだ。


文次郎は手負いの友にあった日、一度忍び小屋に気を失っている留三郎を残し報告へと赴いた後直ちにトンボ返りしてきた。ゆっくりとする気にもなれず、脳裏にチラついてしょうがない姿が気になってしかたなかったのだ。
それもそのはずで、幼く齢十の頃から六年間見ていた友であり好敵手であったが、あれほど弱り果てているのを見たことがなかった。
忍び道具の扱いに長け、実習でこそ目立った成績は残していなかったものの留三郎の力量は日々拳を交えてい文次郎は他の誰よりも身をもって知っているつもりだった。そうやすやすと死にはしない。
忍術学園は即戦力としての若き忍びを育成していた。卒業と同時に一人前の忍びとしてみなされ、相応の働きを求められるのは当然である。辛い任務に耐えられるよう鍛え上げ積み重ねるのが学園生活で学ぶことである。
六年の月日を掛け発展途上の肉体を鍛え、最上級生となれば戦場を駆ける戦忍びにとて戦闘技術は劣るまい。それだけに辛い卒業試験をこなした者は皆誇らしげに、学園を去る。自惚れとは違う自信を持つからだ。
嘗ての留三郎も例外ではなく、純粋な戦いという分野にかけては文次郎に劣るものの、状況判断にかけては群を抜く。どんな状況でも器用に立ち回り任を全うさせる。それは忍びとしては当然であり理想であった。

此度の戦での働きもそうであるはずだったのだ。
しかし、留三郎は怪我を負い、文次郎の前に現れた。
幾人分かの足音を引き連れ、脇に大きな傷をこさえて。

無様な姿など見せる男ではない。
信じて疑わなかっただけに深い傷を己ではない誰かに負わされ、そのまま死の影を招く友を一度たりとも想像したことがなかったのだ。


もし留守の間に留三郎の意識が戻り、姿が消えたとしても文次郎は探さなかっただろう。
動けるのならばいち早く動き、仲間のもとに行ければ良し。そして再び互いに得物を手に出会うのだ。
そう考えていたが、わき目も振らずに走り続け戻った小屋に留三郎は変わらずおり、身動ぎ一つしたあとさえ無かった。

更に幾日。
文次郎はふらりと小屋から消え、飯時には戻ってくるという生活を繰り返し、留三郎も意識を取り戻した後も逃走を計ることなく大人しくしていた。その間会話は一つもなかったと言って良い。
互いに言葉を発することもなく、淡々とした時間を過ごしていた。
留三郎の態度は頑なで、食事も摂ろうとせぬ様に痺れを切らし声を掛けたのが旧友との初めての会話らしい会話であった。

(何者かが此処、もしくは留三郎の存在に気付いた)
そのことに気付いたのは幸い、話が途切れた時である。
しかし釈然としたものが無い。
(この目は味方か敵か・・・)
このことである。

(味方なれば俺が間者であるかの疑いを、敵なれば留三郎を助けに来たのか、はたまた俺の動きから芋蔓式に拠点を探してるか・・・・)

思案した矢先であった。留三郎の口から《見知らぬ男に慰み者にされた青年》を装う言葉が出たのは。

「お許しを、・・・お許しを・・・」

高く上擦った声は間違いなく見張る目を欺くためのものに違いなく、留三郎は竹筒の水を飲みきり音を立てずに置き平然としている。
ふと思い至ったことに文次郎は意地の悪い笑みを浮かべ、上辺ばかりの言葉を紡ぐ口を鳥の親子の如く食事を与えるのとは違う仕草で塞いだ。

「んぅ」

唇が触れ合った瞬間、甘い声が洩れる。触れたのみで刺激にもならないが留三郎はやはり顔の筋肉を動かすことなく受け入れた。互いに目を閉じず、近すぎる相手を凝視しながら幾度か唇を吸い挑発的な声が発せられる隙に、するりと文次郎の舌が悪戯に留三郎の口内に入り込んだ。ビクリと体を強張らせ抵抗され殴り飛ばされると思っていたが、文次郎の予想の斜め上を行く留三郎は拒むことなく受け入れたのだ。そうなれば、想定外の事態に焦らされるのは文次郎ばだ。さらには

(こいつ、慣れてやがる)

一度は放れた文次郎との距離を双腕を首筋に絡め、縮める。どういうつもりなのか、入り込んだ舌先に己のそれを絡める。吸われた刺激に痩せた体に腕を回そうとしたが、触れた余りの細さに肩を押し返した。

「おまえ・・・」

自分がどんな顔をしているのか、留三郎の目に映っているはずである己の表情は部屋の暗さで見ることはできなかった。
出来ずによかったとも思う。なんとも情けないであろう男の姿を見なくて済むのだ。
見つめあったのは瞬きする間よりも短いものであり、いつの間にか掴まれていた胸元をぐっと引かれ胸に留三郎の額が押しつけられた。

「もう、もう家になど帰れませぬ・・・父上や母上に合わせる顔もありませぬ!」

留三郎の言葉にハッとし、咄嗟に続ける。

「ッ・・・ほぅ、なれば俺が放したところでおまえはどこへ行く」

「崖に身を投げまする。恨みながら身を投げまする!」

文次郎は内心不安であった。
何せどのような言葉を選べばいいのか分からなかったのだ。しかしその沈黙の間に留三郎は身を放し横たえてしまう。
啜り泣く声も聞こえれど、先程の戯れなど気にする様もなく発する口は挑戦的に笑むばかりだったのだ。
暗闇だというのに、幾日も陽を浴びていない白い顔はぼんやりと浮き上がるようであり良く見える。

「好きにしろ。あと幾許かもない余生、俺に扱われ死ね」

会話を締め、文次郎は人知れず安堵しているとトトンと床板が音をたてた。
留三郎が不意に床を指先で突いたのだ。眉を寄せ、今度は文次郎が不思議そうにそれを真似て三回指先で突く。突発的な音が何かの合図に聞こえたからだ。
しかし留三郎は何も答えず身を丸め込み、本格的に寝る体勢に入ってしまう。

(三日後、崖に身を投げる。見張る目の一つは留三郎の仲間か)

合図を送るとすれば間違いなく味方へ。文次郎が小屋を見張る目が二つであることを感じ取っていた。眼は文次郎が小屋を離れる時もそこを離れようとはしない。警戒は文次郎よりも《慰み者にされた青年》なのだ。
何処で判断したのか知るところではないものの、留三郎は小屋を見張る目のうちの人の一つを仲間であると確信しての合図である。

小さくため息をつくと、小屋を見る目よりもずっと近くでじっと見上げる目に気付く。
何だと視線を返せば静かに細い腕を持ち上げ、下を指差して見せた。指差された先の床の色ももはや判断もつかない闇の中である。燈した灯りを僅かに傾けても変哲のないものであった。
眉を寄せた文次郎であったが静まり返る森の中でこそ異変に気付いた。

木の板一枚隔てた下から僅かな空気の揺れ。文次郎は飛び上りそうなほど驚いた。

「ぁ・・・」

いる。何かが、いる。


もそりと動き、神経を研ぎ澄ませば息遣い、揺れ動く空気を感じる。
しかし感じ取れるそれは人よりはるかに小さいものであった。元々簡易的な小屋であるため地から床板までの高さはとても子供とてはいるのは困難な構造なのだ。
では、なにがいるというのか。
息をつめ留三郎を見ればにんまりと笑っている様はまるで童が悪戯に成功した時のような無垢なものだ。反応を見られているのだと頭でわかろうとも、思いもよらぬ第三者の存在に身を固くする。咄嗟に小屋の外でどこからもなく様子を窺っているだろう目を思えば、もし床下の存在に気付かれたときはどうなるのだと僅かに呼吸が乱れる。咄嗟に口を塞ぎ息を整え注意深く気配を探りつつも一つの違和感に辿り着いた。
小さな、それも耳を澄ましていても拾えるか拾えないかの音を出した第三者はその場から動いてはいなかった。それ以上動く気配もなく、まるで小屋の様子を音から探るようにじっとしている。僅かな息遣いもそのままに、文次郎に気付かれようとも驚きもせず一つも息遣いが乱れることがなかったのだ。
留三郎が指差し教えた存在であったのだから、驚きはしなくとももう少し違う反応が返るものだと文次郎は思っていたのだ。
すっかり意識を足元に攫われた姿を楽しそうに観察しながら、留三郎は再び床に手を這わせ今度は引っ掻いた。
カリ、カリ、カリと一定間隔で板に爪を立てる。

すると

「あっ・・・」

と思う間もなく、何かは機敏に移動していった。その動き、早さとて人のものではなく迷いもない。
更に気付いたのは足音の多さだ。

(獣だ。獣を使っている・・・)

音は合図となり、それは従順に留三郎の意を己の主人へと届けに走って行ったのだ。

獣がどれほどのことを理解し、主人へと伝えることができるものか、文次郎は知る由もない。だが、扱いに長けるものはまるで獣たちと言葉を交わすが如く、言葉なき相棒から多くを知るという。
風の噂では獣や虫たち、言葉なき存在とも心を通わせるばかりか会話さえする者もいるという。
経験だけではどうにもならない、生まれつきの才をも必要とされる術である。その手の者は多くはない。たまたまその手の者が留三郎の仲間であるとしても、何故消息を掴めぬ一忍者を探す必要があるものか。
意識無き身体の介護を施した際に隅々まで調べたものの、密書どころか忍び道具以外の何も持ってはいなかった。形にも残せぬ言伝を与えられている様子もない。留三郎が今やどのような働きをし、功績を残しているのかは文次郎の知るところではないものの、主家への忠誠も高い様には見えなかったのだ。敵地に事実囚われた身である忍びを危険を冒してまで助けることはないだろう。

(ならば、何故に・・・)

悩んだ末、一つの可能性に辿り着き渋面を浮かべる。

留三郎を捕らえて二日。目が覚めて三回陽は昇り、気付けば山へと沈んでいくところであった。

(こいつは、気付いているのだろう―――)

ならば態々伝えることもない。

(気の毒なことよ)

残り少ない脂薬を傍に寄せ、文次郎もまた既に寝入る体の傍に横たえ夜を明かした。






夢は叶える為にある



文食満なつもりはこれっぽっちもない