それはほんの極一部に嵐のような荒れ模様を描いた。
図書室で貸し出しリストをなぞっていた雷蔵は知った名前を見つけ「お、」と声を上げた。
瞬間しまった、と手で口で塞ぐが時既に遅し。隣で返却された本を整理していた中在家長次がじとりと睨む。
私語厳禁である図書室で無駄な音をたてれば学園で最高学年である図書委員長の鋭い視線、もしくは縄標が飛んでくるのは有名だ。図書委員を務める雷蔵は既に慣れたものであったが、ついつい声をあげてしまったのはチェックしていたリストに親友の名を見たからだ。それだけならば珍しいこともない。珍しいのは生真面目である友人へ貸し出した本の返却期日が過ぎていることだ。期日を過ぎるほど何を読んでいたいのだろうか。タイトルを見ると雷蔵も読んだことのある火縄銃の書物であった。
懐かしいな、と思い出す。その書物は課題の参考に使ったことがあったのだ。
提出期限のギリギリまで遊びたい盛りの三郎や八左ヱ門が何かと雷蔵を連れ回し遊んでいたことがあった。勿論手付かずで放置された宿題を期限当日になって三人で図書室に詰めて必死にその書物を捲ったのだ。結局仕上げたのは夜中になり提出した時には遅いと散々叱られ三人揃って廊下に正座させられた。懐かしさに息を付く。確か三年生の時のことだった。
そういえばあの頃から身長も体格も三郎と変わらなかったなあ、しみじみ同室であり何故か同じ顔をしている親友の一人の不思議について思うも「あれ」と気付く。
貸し出された書物は学園長を務める大川の嘗ての教え子が書いたものだ。火縄銃や使われる火薬の歴史等を下級生向きに言葉を改めて書かれたもので、同級生である貸出人にはとても必要には思えなかったのだ。
じゃあ何故に必要になったのか。
悩みの渦にあっさりと飲まれた雷蔵は、図書委員長の得意の縄標が飛び書物の回収を命じられるまでうんうんと悩むこととなった。
原因になった貸出人の欄には久々知兵助と達筆にしたためられていた。
「お、雷蔵いらっしゃーい」
五年い組の長屋へ出向いた雷蔵を出迎えたのは尾浜勘右衛門のみであった。肝心の兵助の姿はなく、部屋の中央で勘右衛門随分とだらけた体勢をしている。独特の髪が無造作に広がり仰向けのまま首だけを入口に向けているのだ。その顔にはデカデカと「暇だ」「構って」と書かれている。そのうえ雷蔵を見上げる双眼は「宿題あるけど気分じゃないから遊んで」と訴え来客を歓迎し煌めいてさえいた。
ごめん、委員会中なんだ。ついつい込み上げる罪悪感に謝ると、不満気に唸りながら手足をばたつかせた。
「えー図書委員が何の用があるってのさー。もしかして俺何か借りてた?」
中在家先輩怒らせると怖いからなぁとぼやく。
怖いと評されるのは図書委員長の笑顔に原因があるらしい。愉快な時には黙し、機嫌が悪けりゃ笑顔が披露されるという特殊さが中々に理解しがたいのだろう。
散々そのての話は様々な方面から聞くだけに雷蔵は苦笑を禁じ得ない。規則を乱すことさえしなければただの無口な先輩に過ぎないし後輩には何だかんだと世話も焼いてくれるのだが。だが生憎世間話をしに来たわけではない。ぐずぐずしようものならそれこそ本当に不評を買うことになる。
「用があるのは兵助のほう。期日過ぎてるのに返してないみたいだからその回収にね」
「兵助が?珍しい。でも今日は委員会あるって聞いてるからそっちじゃないかな」
硝煙蔵のほう、と指を差す。
ならば、と踵を返そうとすると「待って」と勘右衛門は雷蔵を呼び止め
「じゃあ規則を破るような悪い奴に一緒に説教しに行く!」
と暇つぶしを見つけたと言わんばかりに素早く起き上った。
じゃあ、と足を硝煙蔵へと向けたが中庭にさしかかって「おや、」と勘右衛門は雷蔵の肩を叩く。
「見なよ、一年は組だ」
学園内のトラブルは一割が事務員を務める小松田秀作、残りの九割がこの組が引き起こしているという。
云わば名物めいた一年は組は委員会意外では学園内でもよくまとまって行動しているのを見かけられる。今もサッカーに興じて声を掛け合いボールを繋いでいる。
良く見れば黒木庄左ヱ門率いるチームと加藤団蔵が司令塔を務めるチームに分かれているようで、二人の指示が頻繁に飛んでいる。
人数の都合なのかはたまた動けないのか、腹をこんもりと膨らませた福富しんべヱは独り枠線の外から声援を送っておりゲームは白熱していた。
張り付いてディフェンスをする金吾をきり丸は後方から上がってきた乱太郎にボールを戻し、一気に前方に蹴りあげる。ボールはきり丸金吾二人の頭上を越えて行く。
「伊助ー!頼んだー!」
「任せて!」
「させるか!」
伊助とほぼ同時に飛び上がったのは山伏の父を持つ三治郎だ。いけー!という声援を受け、空中での一瞬の競り合いを征したのは脚力にものを言わせた三治郎であった。胸部でボールを受け止めそのままフィールドの中央から庄左ヱ門に渡し、着地に失敗してしりもちをついている伊助を引っ張り起こしている。
「上手じゃないか」
へぇ、とプレーに感嘆しているとそうじゃないだろう!と今度は肩を揺さぶられる。
「伊助は確か火薬委員だろう?伊助が此処にいるってことは委員会終わったってことじゃないのか?」
「そうだった!」
顔を見合わせた瞬間、速攻をしかけ攻め上がった庄左ヱ門のシュートが決まり歓声が上がった。金吾や喜三太等チームメイトとハイタッチを交わす反対側では団蔵等が円になって作戦会議を展開している。
割り込んで良いものかと二人で視線を交わすが、学園中を探す破目になるのは回避したい。
「伊助ー!」
「あ、尾浜勘右衛門先輩と・・・」
「不破雷蔵の方だよ」
ひらりと手を振ると呼んだ伊助に続きじょろじょろとは組の面々の元気な挨拶が次々に上がり、あっという間に雷蔵と勘右衛門は囲まれる。
「不破先輩、今日は図書委員の当番じゃないンすか?」
伊助の後ろから図書委員の一人であるきり丸がにやりと笑う。
「委員会サボってたら委員長の中在家先輩が後から怖いっすよー?」
「正に今委員会の仕事中だよ。貸出されっぱなしの本の回収に行くところなんだ」
「えぇ?僕何も借りてないですよ」
ぎょっと伊助が飛び上がる。まさか延滞したのか。疑惑の目が一斉に向いた。
いやいやいや。慌てる後輩を雷蔵が宥め
「本持ってるってのが兵助なんだ」
疑惑を否定したが驚きは治まらなかったようで「あの真面目な久々知先輩が!」信じられないと目を丸くする。
「火薬委員は委員会があったろう?もう終わったのかな、て思ってさ」
「はい。僕と二年の池田三郎次先輩はちょっと早く終わりました。でももう久々知先輩は硝煙蔵にはいないと思いますよ」
「え、どうしてだい?」
「はーい!それは食堂のおばちゃんがお饅頭をこしらえたみたいで私ときり丸としんべヱが伊助を迎えに行ったからでーす」
ピンと手をあげて乱太郎が続け、伊助が頷く。
「僕は乱太郎達と先に食堂に行きましたが残っていた四年生の斉藤タカ丸さんや久々知先輩達にも伝えたので、もしかしたら食堂におられるかもしれません」
兵助は特別甘味を好んではいない。他に用事があれば先にそちらを優先してしまうような生真面目な男である。性格を良く知る雷蔵達には伊助の助言は手掛かりに成りえなかった。だが兵助と共に告げられた名前にはそれを覆してしまうほどの効果と手掛かりに変えてしまう。同じことを考えたらしい勘右衛門と苦笑し頷いた。
「成程。有難う、食堂に行ってみるよ」
果して食堂に向かうと確かに甘い香りがしており、辿り着いた先には既に幾人もの生徒がテーブルに集まっていた。各々饅頭が山になって大皿に詰まれている。湯気の昇るそれは香ばしく鼻孔を擽り食欲を刺激し実に美味しそうに見える。頬張る下級生太達も幸せそうで、ほんの少し雷蔵は委員会中である我が身が疎ましくなる。差し入れとして当番で図書室に残っている委員長へ持っていこうか、と思ったが生憎と書物の宝庫である其処は飲食禁止になっている。饅頭を持っては入れない。ならば早く早く仕事を済ませ、休憩を申し出るのが賢明である。
気を取り直し入口から覗いてざっと見渡す。だが目的の人物の姿は中々見当たらない。学年別に分かれた色のお陰で同級生は非常に探しやすい。それに少しクセのある長い黒髪は人ごみの中でも目立つ方だ。
「いない?」
後ろから覗き込んだ勘右衛門もまた目を細めじっくりと探すがやはり見当たらない。代わりに目を惹くのはもう一人の火薬委員、伊助の証言にあった斉藤タカ丸の姿であった。
独りでも充分に目立つ存在だが、同じテーブルを囲むのが同じ桔梗色の装束を纏う生徒でとなれば尚更のこと。
職人故の拘りがあるのか派手な髪型も柔らかな物腰と屈託のない笑みも相まって独特の存在感を醸しているせいか、桔梗色の中で頭一つ分背の高いは一等目立つ。だがその隣はやはり同じ色の装束がおさまっている。
てっきり一緒にいるのかと思っていただけに落胆するがそうもしていられない。善は急げと呼びかける。
「タカ丸さーん!」
騒然とした中でもパッと雷蔵達を振りかえり、饅頭を食べている幸せそのものの笑顔で振りかえるのかと思いきや。
応えて手を上げつつも口を開きかけたところで何やらぎこちなく視線を逸らした。
おや、と思ったのは雷蔵達だけではない。
共にいた四年生の面々も饅頭を齧るのを止め二人と一人を交互に見ている。
笑顔で応えてもらえると思っていただけに雷蔵も奇妙な間に動けずにいると、タカ丸は上げ損ねた手はふらふらと中を彷徨い降下して行き居心地悪そうに胸の前で手を握る。
「えと、」
視線も彷徨わせたのち、恐る恐る雷蔵と勘右衛門を見上げる。その額にはうっすらと冷や汗。
いよいよもって様子がおかしい。
そしてなんとか形にしたような笑みを浮かべ
「こんにちは、不破先輩と尾浜先輩」
たかが一言。されど一言。
「せん、ぱ、い・・・?」
呟いたのは誰だったのか。四年生の田村三木ヱ門と平滝夜叉丸が顔を見合わせた。綾部喜八郎だけが構わず饅頭を再び手に取っている。
普段仲の悪く衝突の多い二人がついお互いの反応を見てしまったのは強烈な違和感を感じたからに他ならない。
訝しげに眉間を皺を作った互いの顔を見ながら、心中を同時に悟る。
(タカ丸さん、先輩って呼んでたっけ)
このことだった。
続く
50巻を読んだ時思いついた。
原作じゃ久々知は「タカ丸さん」呼びだけど我が家では「斉藤」と「久々知君」でとおします。