勉強を教えて欲しい。
何処が分からないのかと尋ねた時、やや目線を泳がせ口籠りながら答えられたのは幾日か前も委員会の後火薬倉庫内で教えた箇所と同じところだった。忘れたのか、はたまた他に細かな内容が理解できずにいたのか。そうではない。
兵助はぽかんと相手の顔を見つめた。
何故なら乞われるまま教えた翌日、抜き打ちテストで満点をとれたと大喜びしていたからだ。
すっかり先生役になっている兵助が悪戯に出題する問題にも、その内容だけは間違えたことが無い。
それが何故今になって分からないというのか。そんなわけがない。
(弄うているのか?)
と思った瞬間、閃いた兵助はぴしりと固まった。
途端、顔に血が上ったのが分かり、火薬倉庫内がやや薄暗いことに感謝することになった。今、誰かに陽の下誰かに正面から会おうものなら兵助は全力で逃げ出すだろう。
己の顔面は真っ赤に違いない。兵助は確信していた。
熱くなった体の熱が冷めるのを願いつつタカ丸を見つめれば居心地悪そうに体を捩り
「都合が悪いなら無理しないで良いよ?」
申し訳なさげに言うではないか。
もたもたした態度をどう受け取ったのか、相手こと斉藤タカ丸は慌てて手を振って「ごめんね?」と完璧に「断られた」反応になってしまっているのを見て兵助も大いに慌てた。
(折斉藤自らが俺に寄越した機会を逃してなるものか)
このことである。
焦りという多少の勢いがなければ、兵助にその言葉を発すことは出来なかったのだ。
「いや、大丈夫だ。大丈夫だから・・・・その・・・・お、俺の部屋に来い」
それを聞いたタカ丸の変わり様は兵助を驚かせ、照れながらも言えて良かったと撫で下ろす。
たった一言で羞恥の限界メーターを振り切った兵助に既に怖いもの等無く、タカ丸の肩に手を乗せ、耳元で
「勉強道具はいらないから」
と囁き次に顔を真っ赤に染め上げ固まるタカ丸を笑う余裕さえ出たのだった。
(今日は大丈夫)
俄然自信が湧き、上機嫌に委員会での火薬在庫の確認を済ませ二人はお決まりのセリフ「じゃあね」ではなく「またな」と機嫌良く別れた。
その夜。
二度目になる兵助の部屋を訪れたタカ丸は流石に初めての時のような僅かな緊張は消えており、相変わらず正座していたが気にならなかった。
それだけ兵助にも若干の余裕が出てきたのだ。
望んでいたように二人で和やかな会話が進む。
「今日はね、一年は組のところで授業してきたんだよ」
そう言ったものの出てくる話はどれも授業の話より、一年は組で聞いてきた話であった。
学園の中で起きる騒動の九割が一年は組が原因だと言われるくらい賑やかな組である。過去の出来事を尋ねればネタは底なしにあるらしい。タカ丸は一つ一つ話していく。それを聞きながら、そういうのが確かにあったなぁ、と振り返ってみる。しかし、
(物足りない・・・)
何処か満たされない回想はささやかな虚無感を兵助に与えた。
飛び出すは組の生徒の名前を全て知っているわけでも覚えているわけでもないが、タカ丸は当然のように呼び、当然のように過去の、己が学園へ入る前の話を楽しそうにするのだ。それは、暗に自分もそこにいたかったという羨望をチラつかせる。
さぞ楽しかっただろう。
さぞ大変であっただろう。
さぞ仲間と仲良くなれただろう。
反面、これから時には妙で時には素敵で時には恐ろしい騒動をもしかしたら体験できるかもしれない、友と立ち向かうことができるかもしれない、という期待まで籠められているものだから兵助は苦笑するしかない。
何処までも前向きでありそれがタカ丸という人の性なのだと思えばこそなのだ。
「その時斉藤もいれば、な・・・」
いくら過去を振り返ったとて最近編入したばかりのタカ丸がいるはずがない。それが兵助にはもの寂しく思えてならなかったのだ。
半ば独り言、無意識のうちに飛び出した台詞を逃さず拾ったタカ丸は唯笑む。きらりと好奇心に光る眼が兵助を映した。
「うん。でも、俺は今学園にいるわけだし、きっと久々知くんとも楽しいこといっぱいあるだろうしね」
「そう、だなぁ」
「ということで、さっそく楽しんでみよう!ちょっとは組の皆の真似でもして!」
「・・・・な?」
前半はしみじみと聞いていただけに、なんだその話の軸の急カーブ、とポカンと阿呆のように口が開いた。
「は組の夜中の大掃除の事件があったでしょう?」
兵助は頷いた。
タカ丸から聞いた話によれば、それは一室の落し物探しから始まり床下に落ちたのかもしれないという可能性から床板をひっぺ返したことが切っ掛けであった。いざ探してみると、落し物は無事に床下から見つかった。しかし、探し物の手伝いをしていた友人は別の良いモノ(確か、食堂のタダ券)を見つけた。床板をひっぺ返す音や、思わぬ収穫を得た友人の声に目を覚ましだした同じ組の仲間がそれを見て次々に真似したという話である。
それを更に真似しようというのだから
「床下・・・?」
探すのか。と首を傾げれば、大げさなほど首を縦に振った。
合わせて跳ねた髪の動きについ意識が向く。あぁ、きれいだな。床下の捜索などしたらタカ丸自慢の髪が汚れるだろうな。一瞬現実逃避に意識を投げそうになったのを慌てて留め、なんとか辞めさせようと思ったが
(理由が思いつかない)
期待に満ちた眼差しが兵助を貫いてしまえば、逆らえはしないのだ。
(おれはいつかこの人に勝てる日が来るのだろうか)
惚れた方が負け。
思い人の前では形なしの兵助の様に大爆笑する髪の手入れの悪い友人の声が聞こえた気がした。
ルンルンと聞こえてきそうなタカ丸の上機嫌につられ「まぁいいか」と諦めに似た決意から徐々に乗り気になってしまうあたり、かなりの重症であることを兵助は気付いてはいない。
やってみるか。
一度口にして双腕をぐっと天井へ伸ばした。
ホント?やった!床下なんて自分の部屋でもあんまりみないでしょ?落とし穴なくても何か発見があるかも。
言われてみればそうであった。
とはいえ、床下など気にしたこともない。タカ丸のいう何かの発見がなくとも、滅多に見ないものを見るという興味が兵助の意識を引いたのだ。
一見、一〇ばかりの子がしたことを一四の己が真似るのは妙に引っかかるものを感じるが。全く気にしていない齢一五の人の提案であるのだから兵助がどうこう口出すところではなかった。どのみち、どう転ぼうと流されてしまうのが兵助の性分である。
ひとまず部屋の物を端に寄せる作業中、何かを思い出したようにタカ丸が視線を視線から離さずに言った。
「あ、ちなみにね、俺の部屋の床下は何もなかったみたい」
「早速自室調べてたのか!」
驚いてから、それはそうだろうな、と思う。
真似してみようなど突拍子もないことを兵助の部屋で実行する位なのだから、自室はすでに試していて当然と言えば当然である。
が、「なかったみたい」とは如何に。
「んーん。俺が見たんじゃなくてね、喜八郎が見たの」
「何でそこで綾部・・・」
「俺がよし、やるぞーって意気込んでたら喜八郎が下から出てきて、何もありませんでしたよって」
「いや、だから、何で綾部が知ってるんだって・・」
「喜八郎、物知りだよねぇ」
「違うだろ!いや、それよりも、さっさと調べてみよう」
まさに気を取り直して。
飛び出した名前は些か癇に障るものの、タカ丸はそうだった、と立ち上がる。兵助も立ち上がり床板に手を掛けようとした。
が、なんと床板はタカ丸や兵助の手に触れられる前に勝手にガタリと持ちあがった。
声にならない悲鳴とタカ丸が兵助にしがみつくのと同時だった。
何かが兵助目掛けてすっ飛んでくるのは。
「ぬぁ・・!」
しかし、そこは経験豊富な五年生である。咄嗟にタカ丸を抱え込んで避けて見せた後ろで、何かが壁にスタンとぶつかった。
「スタン・・・?」
いや、突き刺さっていた。一本の棒手裏剣が。
これまた兵助が懐に手を伸ばし冷静に応戦の構えを見せたのと同時である。
忌々しげな舌うちが緊迫しかけた部屋に割り込み、ずれた床下からぬっと桔梗色の塊が現れたのだ。
「せっかく喉を狙ったのに」
物騒なことを呟きながら顔を出したのはなんと
「喜八郎!」
タカ丸の同級生の綾部喜八郎であった。
瞠目する兵助をよそに、抱え込まれていたタカ丸は平然と友人へと駆け寄って行ってしまうのだから空になり、宙に浮いたままの腕がなんとも寂しい。
「こんばんは、タカ丸さん」
いきなり棒手裏剣など物騒なものを投げつけておいて、一つ学年の違う先輩には挨拶一つないとは如何なものか。
マイペースな挨拶にのほほんと何事もなかったかにように「こんばんは」と返すタカ丸も喜八郎独特のテンポに馴染んでしまっている。悲しかな、喜八郎と面と向かい会話などしたことのない兵助は呆然とすることしかできなかった。少しでも余裕があれば「何のんびり挨拶してるんだ!」と割り込むこともできたことさえ頭にはない。兵助を置き去りにして二人の話が始まるのだ。
「床下でしたら、此処も何もないようです」
「えー。何か出てきたら面白かったのに」
何故そんなところにいる。斉藤、何故そんなに疑問一つなさそうなんだ。床板ひっぺ返そうとしてたのを何故知ってる。ていうか、いつからそこにいた。むしろ、何故そこにいた!?いや、冷静になれ俺!ていうか、何で俺あんなもん投げつけられたんだ。謝罪もなしか!?
完全に硬直状態に陥った兵助をタカ丸の肩越しに見た喜八郎は何食わぬ顔で
「よいしょ」
と這い上がりずらした床板を戻しそのままタカ丸の手を掴んだまま座り込んだ。つられてタカ丸が座れば二人は向かい合う形となり、いつの間にか完全に兵助は蚊帳の外である。
更に「四年長屋に帰りましょう」等と追い打ちをかけられてはもう落ち着いてもいられない。
「な、何を言い出すんだ」
やっと声らしい声が出た兵助に寄越されたのは喜八郎の冷たい視線である。
「タカ丸さん、この部屋は豆腐小僧の領域です。長居しては喰われてしまいます」
「な、誰が豆ふ・・」
「あ、心配してくれるの?嬉しいなぁ。でも、久々知くんがいるし、大丈夫だよ」
喜八郎の眼光の鋭さがまし、
(こんなに手懐けて、なんて奴)
と訴えてくる。
タカ丸の分かっているのかいないのか、無邪気なフォローにより一先ずは「豆腐小僧」発言を見逃すことにし、得意気に腰に手をあて見下ろせば二人の間に見えない火花が散る。
己の優勢を悟った兵助に、思わぬところから追い打ちがかけられようとは誰も予想もしていない。
それは、天井からやってきた。
大きな笑い声である。
それも、聞き慣れた声。
兵助の記憶に間違いが無ければ、間違いなく
「おま、三郎ぉおおお!」
壁に突き刺さったままだった喜八郎の棒手裏剣を天井に投げ付ければ、
「うわぁ」
など緊張感にかける反応が返ってくる。
驚きのあまり喜八郎がタカ丸にしがみつかれちゃっかり腰にまで手が回っているのも見えやしない。
天井からぬっ、と目尻に涙まで浮かべた顔を出した似非双子に
「おまえらって奴はぁあ!」
と叫び出す。
「御免、兵助!三郎が上手くやってるのが心配だっていうものだから」
「だって、もう、うくく、後輩が床下にいるのも気付かないし、くく、あぁもう駄目だ可笑しいぃ!」
だーはははは、あはははは、と笑い出す二人に胸の内にて
(俺のプライバシーは何処だ)
と嘆きながら、優等生の兵助の部屋に「五月蝿いぞ!」と注意しにくるのであろう近付く足音を、聞いていた。
おしまい。